今、一番読まれている記憶術のマニュアルです、すでに持っている方も多いかと思われます。
(宮口式記憶術誕生のきっかけ) 一部抜粋
居間に戻ると父は私に家の状況をゆっくりと説明し始めました。
ここ数年、家業が思わしくないこと。
そして、私が高校を卒業する頃(3年後)にはさらに悪くなるばかりか
続いているかどうかもわからないと・・・
父は。
私が家業を引き継ぐのを目標に、高校生活を送るのには絶対反対だと言いました。
(父の息子に対する愛情とは理解していましたが・・・)
「公寿、ごめんな・・・」
父があの時最後に言った一言は30年経った今でも忘れることはできません。
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父と話した翌日から私は無理やり気持ちを切り替えました。
正確に言うと切り替えるしかなかったのです・・・
あまりのショックで家を飛び出したいとも思いましたし、
未来への恐怖に押しつぶされそうになったからです。
完全に安泰だと思っていた就職先(家業)の道が閉ざされた今、
私に残された道は大学進学以外ありませんでした・・・
現代のように当時は高卒ですぐに高待遇な仕事に出会える時代では
ありません。
誰がなんと言おうと「学歴」が世を支配していた時代です。
親が大手企業の経営者・医者などであれば、子がどんなに駄目人間でも社会に認められた
地位につける。
逆にどんなに才能があっても学歴がなければ社会のゴミ扱い。
今のようなベンチャー起業家という風習など全くない不条理な時代だったのです・・・
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果てしなく険しい道のりに感じていました。
高校が私立のため友人の中には父親の社会的地位が高く、将来を約束された人も
何人かいましたが私は2〜3年後続いているかどうかもわからない刀鍛冶屋の息子です。
その上、卒業後家業を継ぐと決めていたため、勉強なんてほとんどしてませんでしたし
どの大学のレベルが高いとか一流とかいう情報も一切わからなかったのです。
信じられないかもしれませんが、まず私は本屋に立ち寄り有名な大学を探すことから
始めました。
結果、当時の段階で社会的にも認められ就職も安泰な大学は東京都内で3つ。
慶応・早稲田そして・・・東京大学でした・・・

これら3校について私の高校が毎年どのくらいの合格者を輩出しているかを、担任の先生
へ聞きに行きました。
現実は絶望的でした。
慶応・早稲田ともに、学年400人+浪人生合わせて合格者は毎年2人が最高(合格者0の年もある)。
東京大学に至っては過去20年間、誰一人として合格者がいないということでした…
愕然としながらも担任から一つ上の学年で最も優秀といわれている先輩を紹介してもらい
話を聞きました、しかし・・・
彼からは私の有名大学進学の夢を断念させるには
十分すぎる程の言葉を浴びせられました。



